新しい社会的養育ビジョン2

8月15日

児童養護施設の売りは何か?
365日、24時間休むことなく子どもを養育していること。そこに保育士、社会福祉士、臨床心理士、看護師などの専門職がいること。そして傷ついた子供たちを数多く養育し、困難を抱える親たちと向き合ってきたこと。
こうした機能とノウハウを地域の子育て支援に還元していくこと。これがこれからの児童養護施設に求められることだ。
新しいビジョンで繰り返し語られていることが、「永続的解決(パーマネンシーの保障)」である。だとすれば、親子分離をしないように、困難な状況にある家庭、そして子どもに具体的な支援を届けていくことが求められる。分離したとしても短期間で家庭に戻ることができるように親を支援していくことが求められる。施設と家庭を行ったり来たりすることもあろう。週5日は施設で2日は家庭でということもあろうし、その逆もあろう。
家族と暮らすことができない場合は養子縁組が優先されるし、その次が養育里親。こうした家庭のサポートも重要な役割になろう。
いずれにしても子育て家庭に対する実効性のある支援は、「必要に応じて子どもを預かる」こと。いわゆる親戚の役割だ。いいかえれば「ともに子どもを育てる」ということ。こんなことができるのは児童養護施設ぐらいではないだろうか。
養徳園では、県北を中心に9つの市町とショートステイ契約を結んでいる。今後はこうした市町との連携が一層重要なものとなってくる。ケアニーズの高い子どもの受け入れにあたっても、こうした市町の子どもが優先され、市町と連携してその家庭、子どもを支援していくことになろう。そう考えると、施設の立地が大きな問題になる。
「県が保護して施設に収容する」、これまでの形であれば、県内どこに施設があってもよかった。もしかしたら問題を見えなくするためには、田舎のほうが都合がよかったかもしれない。しかし、新しいビジョンを進めていくことになれば、そういうわけにはいかない。地域の子育て支援に参画しない施設は淘汰されるだろうし、参画したとしても過疎地域の施設はよほどスペシャルな支援を展開できないと淘汰されることになろう。
私の持論は「施設養護の発展的解消」。その道筋をこのビジョンは示している。そのことについては歓迎だが、いかにも拙速すぎないか。国は本気度を出して、施設に変革を迫ろうとしているのかもしれないが、現実的でない数値目標を掲げたことで、せっかくのビジョンがつぶされてしまわないか心配だ。

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新しい社会的養育ビジョン

8月6日

先月、栃木の方より3万円の御寄付をいただきました。いつもありがとうございます。久しぶりにブログを開いたので、ついでに書きます。

先日、新た社会的養育に関する検討会がとりまとめた「新しい社会的養育ビジョン」が示された。「施設入所停止」、「未就学児75%里親へ」などの新聞見出しに児童養護施設関係者は何を思っただろうか。

「絶対無理!里親、里親といいながら、実際なり手が少ないのが現実」、「アメリカもイギリスも、里親中心だが、里親で育った子の予後はよくないのが現実。それをわかっていて里親に移行していいのか」などなど。確かにその通りだが、底流に何があるのかを考えなければならない。
問題の本質は要保護児童問題の可視化だ。日本は近代国家の仲間入りをしたのちも、ずっと施設中心でやってきた。石井十次の時代であっても、全国から岡山孤児院に次々に孤児が送られた。第二次大戦後は巷にあふれた孤児が保護され施設に収容された。成熟した社会になっても、県(児童相談所)が保護して県内にある施設に集中して収容した。結局、地域から問題を排除する(見えなくする)形がとられてきた。問題が見えなくなった地域はよいが、施設を抱える地域にとっては・・・・。これが施設の地域化を阻む最大の要因だ。
地域コミニティーの崩壊、家庭の養育力の低下、そして子どもの貧困と児童虐待の顕在化などなど、すでに要保護児童の問題を地域から排除することはできなくなっている。地域は問題をしっかり見て対処することが求められているのだ。こうした流れは、市町村に要保護児童対策地域協議会や児童虐待相談窓口ができたあたりから動きだし、昨年の児童福祉法改正によってより明確になり、今回のビジョンで示された数値目標で、国は本気度を示したというところだろう。
要保護児童問題を可視化するためには、まずはその家庭を地域でどれだけ支援できるかだし、仮に保護されるとしても、限られた施設に収容し養育するのではなく、そこかしこにある里親家庭で養育されなければならない。真に成熟した社会が、弱者を包み込む共生社会でなければならないとすればなおさらである。地域から排除され施設で暮らす子は「憐み」の対象になってしまうのだ。
私が養徳園に奉職したのは24年前。まだバブルの余韻が残るころで、施設は定員割れ状態で、「養護施設の戦後の役割は終わった」と言われていた。そう言われた養護施設も児童虐待が顕在化したことで被虐待児の受け皿となって救われた。これでやっと戦後の役割を終えたと言っていいのではないか。そして児童養護施設には新たな役割が待っている。つづく

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寄付の御礼

12月27日

12月19日、また栃木の方より匿名で3万円のご寄付をいただきました。何回目になるでしょう。最初に頂戴してから6年が経とうとしています。継続する支援に心より感謝いたします。

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寄付の御礼

8月17日

8月1日に大田原の消印で3万円の寄付を頂戴しました。同じ方からだと思いますが、昨年末にも3万円頂戴しています。本当にありがとうございます。
また昨日、栃木の方からも3万円頂戴ました。本当にありがとうございます。

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職員の採用

12月29日

養徳園では来年4月1日採用の職員を募集します。これが最後の募集です。昨年から最後の募集は資格を問うていません。既卒者も50歳までならOKです。唯一の条件はこの仕事をどうしてもやりたいと思っていること。有資格者と比べ給与は低いですが、資格の取得を応援します。
また、児童家庭支援センターで働く保健師も求めています。乳幼児の育児についての相談支援が多いので、保健師がいると助かります。
 

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家族とのパートナーシップ4

12月28日

前回の続き

身近な福祉としての社会的養護

社会的養護は身近な福祉ではなかったがゆえに、それを利用することに対しての抵抗は根強い。結果として虐待が重症化し、最終手段として社会的養護が選択されるのだが、その段階に至っては親子関係が修復不能な状況に陥っていることもしばしばだ。

社会的養護は決して親から子どもを取り上げて養育する場ではない。家族と共に子どもを育てていく場でもあるなら、社会的養護はもっと身近な福祉にならなければならない。困ったときちょっとだけ利用する。年単位で利用しなければならない場合であっても、親子が疎遠にならないように支えていくような福祉であってほしい。家庭養護を基盤としながらも必要に応じて社会的養護を利用する。社会的養護を基盤としながらも可能な限り家庭養護の機会をつくる。そのためにも地域で一貫してその家庭を支え続ける人が必要である。

 

切れ目を繋ぐ児童家庭支援センター

地域の子育て支援と社会的養護の間には切れ目があるが、そこに入り込んでしまい必要な支援が届いていない子ども・家庭が数多ある。児相の一時保護所に虐待の再被害で入所する子どもが後を絶たないのはその表れでもある。その切れ目をつなぐ役割が児童家庭支援センターにはある。要対協に関与しながら地域の要保護児童を見守り、必要があればタイムリーにショートステイやトワイライトステイの支援を届ける。社会的養護を利用することがあるかもしれない。いずれにせよ、一貫して子ども・家庭を見守り必要な支援を届けることができるのは児童家庭支援センターしかないだろう。

 

新しい里親像

国が示した家庭的養護の推進計画では、社会的養護における里親養育の比率を3分の1に高めることになっている。この目標の達成のためには、里親養育のイメージが変わらなければならない。里親養育というと、家庭復帰は望むべくもなく親も養育に関与しないことが見込まれる場合に選択されることが多い。「里親養育優先の原則」はわかるが、社会的養護の開始にあたって里親養育が適当と判断されるケースは少ない。里親養育が家族との連携・協働のもとになされたっていいのだ。里親自身が子どもの親のパートナーとして養育にあたったっていい。里親が里親の機能を利用しながら、その地域の子ども・家庭を一貫して支えてもいいのだ。

 

最後に

児童養護施設に家庭支援専門相談員が配置されて久しい。しかし未だに、親支援は行政、子どもの支援は施設でという役割分担に明確にあるようだ。児相からの経過記録には親の情報が多いが、それに比して子どもの情報は少ない。ショートステイで地域から受ける際も同様で、子どもに関することは最低限のことしか知らされない。行政が行う親支援はどこか子どもが抜け落ちてしまっているように感じる。家族とのパートナーシップは、子どもの育ちを支えるためにある。そのために施設も行政も子どもを中心に据えて、家族との連携・協働を模索しなければならない。


おわる

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家族とのパートナーシップ3

12月24日

前回のつづき


子どもの故郷はどこ?

私は、施設を退所後に生活が破たんしてしまった子の支援を行うたびに、「この子の親(実家)は何をしているの?」、「この子の故郷をいったいどこ?」と考えてしまう。施設としてできるだけのことをしてはやりたいが、退所した子すべての人生を見守り支えていくことはできない。子どもが社会的養護に委ねられということは、この家庭に対する地域の支援が途絶えることでもある。子どもがいることでかろうじて体をなしていた家庭が壊れてしまうことだってあるのだ。

 

社会的養護のシステムは「救いの神」?「人さらい」?

さて、社会的養護のシステムは、虐待を受けている子どもそして養育に困難を抱える家庭にとって「救いの神」なのか「人さらい」なのか。3年前、広島で小5の女児が実母の暴行によって虐待死するという事件があった。この事件は、女児は二度保護され二度とも施設入所に至っていたことで、社会的養護のシステムが子どもの安全を守り切れていないことを示した。介入による児童相談所(以下、児相)と親との対立も含めて、家族とのパートナーシップを形成していくことは難しい。そしてその背景に、地域の子育て支援と社会的養護の間に切れ目があることを感じる。

 

切れ目のない連携・協働

社会的養護は都道府県が管轄する福祉である。市町村レベルでは要保護児童対策地域協議会(以下、要対協)があり、養護性の高い子ども・家庭をフォローしているが、社会的養護が必要となれば児相、そして施設へ引き継がれていく。筆者の経験上、家庭復帰(地域に子どもが帰る)に際して、地域福祉の関係者を交えて今後の支援について話し合うことは稀であり、家庭復帰後の親子を支援することもない。(あるとすれば、児童家庭支援センターに児相から指導委託があった場合であろう。)

子どもが生まれる前から社会的自立に至るまで、一貫して子どもに関わり、家族とのパートナーシップを組んで共に子どもを育てていこうとする組織(人)はいないのだろうか。地域にあって、その家庭の必要に応じて支援を届け、危機に瀕しては社会的養護につなぎ、施設入所中は施設と共に親子の再統合を目指していく。再統合ができてもできなくとも、その家庭に関わり支え続ける人が求められている。

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家族とのパートナーシップ2

栃木の方から匿名で3万円のご寄付をいただきました。感謝です。

さて、前回からのつづき


親子の縁は切れない

大学に進学した女の子(A)がいた。Aは入学後、学生支援機構の奨学金がもらえないと私に訴えてきた。理由は親権者の同意がないから。親の所在が明らかな場合、親から同意を取らなければならないのだ。

Aは6歳で実母からの虐待を理由に施設に入所。入所当初は、家庭復帰を視野に入れて親子関係の再構築を図ろうと帰省もさせていた。帰省していた小1の元旦の夜、母親から「もうこの子、無理」と施設に電話が入った。それ以降、Aは母親に会うことはなかった。

母親に同意をもらいにいこうとする私に、Aは「あんな人、親じゃない。絶対ハンコなんてもらいにいかないで。」という。そういうわけにもいかず、母親のところに出向いたが、「あの子が親を捨てたのだから、絶対にハンコは押さない。」と、同意を得ることができなかった。

結果的には学生支援機構が施設長の同意を認めてくれて事なきを得たのだが、私はこの母子の関係に何の働きかけもせずに、高校卒業まで至ってしまったことを反省した。その後、Aから「自分はひとりで生きていく自信がある。でも自分の人生を親に邪魔されたくないから、親の戸籍から抜けて親と縁を切りたい。」との相談を受けた。この母子はここまで憎しみ合うほどの交流はあったのだろうか。戸籍から抜けることはできても親子の縁は切れない。だとしたら、憎しみ合うにせよ、互いを理解する時間を確保するべきだった。もしかしたら歩み寄る可能性だってあったのだ。

 

親子関係の再構築とは、親子が互いを理解すること

3歳で施設に入所した女の子(B)。母親は未婚でBを出産、生活力がなく男性への依存が強いが、DVで関係は長く続かない。母親もBも一緒にと暮らすことを願っていた。これまでに2度、母親は内縁関係にある男性を連れてきては引き取りを求めたが、男性との関係が破たんし家庭復帰は見送られた。6年生のとき、施設の親子生活訓練室に母子で宿泊する機会があった。Bは自分で料理を作って母親に食べてもらおうと意気込んでいた。チンジャオロースを作ってあげたそうだ。母親が帰った後で、Bに「あなたが料理をしているときお母さんは何をしてたの?」と聞くと、「ビール飲みながらテレビを観てた。」と。さらに「どうしてほしかった?」と聞くと、「そばにいて、料理するのを見ていてほしかった。」と。その後も母親が付き合う男性は変わった。母親は頻繁に電話をかけてきては、Bに一緒に暮らすことを求めてくる。今、Bは「お母さんは大好きだけれど、一緒に暮らすのは不安だ。だから高校を卒業するまで施設で暮らしたい。」と言う。小さい頃から母親との暮らしを夢見ていたBにとって、親子関係の再構築のプロセスは親を理解プロセスだったのだ。

一方で、親が子どもを理解することも大切である。例えば、発達障害が根底にあって育てにくさゆえに虐待へと至ったケースがある。親が自身の養育観に固執していたり、その子の養育を一人で抱え込んでいたりする場合に多いが、子どもの特性を知り、厳しくしつけをすればどうにかなるものではないことを知ることが大切だ。また、施設で暮らす子どもの気持ちを知ることは、子どもために何をなすべきなのかなど生活を立て直す糧ともなろう。

つづく

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家族とのパートナーシップ1

11月21日

季刊「児童養護」2015 Vol.46 No.2に掲載された私の文章を掲載します。この雑誌には児童養護に関する最新の情報が掲載されます。購読してください。

家族とのパートナーシップ

本誌編集委員/栃木県・養徳園 総合施設長 福田 雅章

新しい原理としての「家族との連携・協働」

家族とのパートナーシップについては、施設運営指針のなかで社会的養護の原理の一つとして次のように記されている。

④ 家族との連携・協働

・保護者の不在、養育困難、さらには不適切な養育や虐待など、「安心して自分を委ねられる保護者」がいない子どもたちがいる。また、子どもを適切に養育することができず、悩みを抱えている親がいる。さらに配偶者等による暴力(DV)などによって「適切な養育環境」を保てず、困難な状況におかれている親子がいる。

・社会的養護は、こうした子どもや親の問題状況の解決や緩和をめざして、それに的確に対応するため、親とともに、親を支えながら、あるいは親に代わって、子どもの発達や養育を保障していく包括的な取り組みである。

「家族との連携・協働」は施設養護においては新しい原理である。これまでも「親子関係の尊重」という原理があったが、これは親子の再統合を目指して家庭環境の調整を図っていくという意味合いが強かった。それに対し「家族との連携・協働」は、再統合するしないに関わらず、親子関係の再構築を含めて親(家族)を支援しながらともに子どもを育てていくという意味がある。葛城氏の報告にあるケース①②はまさにその具体例であろう。

児童養護施設の養育と親子関係の再構築

児童養護施設での養育は何を目指すのか。よくよく考えてみると、子どもの自己実現であり社会的自立である。そして究極のところ貧困や虐待の連鎖を断つことであろう。そのために私たちは児童相談所(以下、児相)をはじめ様々な関係機関と連携していくのだが、家族との連携・協働となるとおざなりになりがちだ。施設の養育が平穏無事に遂行されることだけを考えれば、前の養育者が施設の養育に関与してくるのは面倒なことだ。「今は養育者(ケアワーカー)との関係を構築していかなければならないのに、親に会いに来られたのでは…」とか、「家庭復帰は到底無理なのに期待だけ持たせて、子どもが不安定になるだけなのに…」等。

児相が扱うケースのなかで児童養護施設まで至るケースは稀(まれ)で、重篤な虐待があったり、親子関係がすでに破たんしていたりして、その家庭に留まることが子どもの利益を損なうと判断された結果である。いずれにしても、親自身が精神疾患、人格障害、発達障害など難しい問題を抱えていることが多く、家族との連携がきわめて難しい。

その一方で、思春期以降に施設や学校の生活に適応できない場合、親が引き取りの意思を示し、子どもは家庭生活への幻想(そこにはバラ色の生活が待っている)から家に戻ることを望むと、丁寧な再統合のプロセスを経ないまま、それ以外の選択肢が見い出せずに家庭復帰の選択がされることがある。子どもの成長の過程にあまり関与してこなかった親が、そうでなくとも難しい年頃の子どもに適切に向き合えるとは思えないのだが。

つづく

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県民のつどい

11月9日

11月は児童虐待防止月間です。子ども虐待防止ネットワークとちぎでは今年も「子ども虐待をなくそう!県民のつどい」を開催します。ご参加ください。
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