« 2009年1月 | トップページ | 2009年3月 »

2009年2月

職員研修

2月23日

随分空いてしまった。とにかく忙しい一週間だった。15日から昨日までに宴会が5回もあった。昨日は昨年なくなった祖母の一周忌で山梨へ行ってきた。

18日と19日、県の児童養護施設の職員研修だった。企画から運営まで任せられてたいへんだったが盛会のうちに終わりよかった。18日は共立女子大の大嶋恭二先生を招いて「第三者評価の実際」について研修した。栃木県では10箇所の児童養護施設のすべてが21年度、22年度の2ヵ年で第三者評価を受審することを申し合わせており、喫緊の課題でもあってか、各施設とも施設長ほか幹部職員が参加した。大嶋先生も予定の時間を大きく超えて講義をしてくださり、充実した研修になった。第三者評価では組織としてどれだけ取り組んでいるかが問われる。養徳園を含めてまだまだ受審できるまでになっていない施設が多く、「本当にみんなやるの?」という感じだが、受審のための補助もない中で、任意で全施設やったら、これまでの汚名を返上できるばかりか画期的なことであろう。

19日は「被措置児童等への虐待防止」について討議した。多くの職員が、子どもに対して毅然とした対応ができなくなると危惧しているようだ。例えば、国が示したガイドラインに虐待の例として「感情のままに、大声で指示したり、叱責したりする」とあるが、「感情が伴わない叱責なんてないし、子どもにも伝わらない」といった意見もあった。

収容保護パラダイムの下の管理支配的な発想から脱却していくにはまだまだ時間がかかると感じた。体罰や脅迫は論外だが、「何はしていい、何はしていけない」といった後ろ向きの議論はあまり意味がない。関係性に基づかない一方的な指導は子どもに響かないし、被虐待児に対しては逆効果であろう。子どもから見れば、この人の言うことは聞くがあの人には従わないということはいくらでもある。子どもが「あの人は私が憎いからあんなに怒るんだ」と受け止めてしまえば、広い意味で虐待ということになってしまう。

だからこそ発想を転換して、「この子に何が必要か」といった観点で議論していくことが必要だ。例えば、高校受験を目前にし合格がおぼつかない子が休日遊びに行こうとしていたら、声を荒げて「遊びになんか行かないで勉強しろ!」といっても何の問題もない。逆に勉強を強要しないほうが指導を怠っていることになるだろう。その意味では自立支援計画が重要だ。施設の行う援助が、どのような意図をもっているのかを明確にしておかなければならない。

20日は、星の家移転にとって重要な日だった。購入のための融資の実行、金銭の支払、所有権移転の手続き等が行われた。4月1日のスタートに向けて準備に追われるだろう。

20日の夜、弁護士会の勉強会に招かれた。子どもの権利について関心を持っている弁護士さん達の集まりで、施設の現状や施設内虐待を生み出していく構造的な問題、さらには職員の勤務体制について話をした。参加者の中に問題が起きた施設で第三者委員を務めていた方がいて、「第三者委員には何の苦情も寄せらなかったのはなぜか」という質問があった。「身近な大人が何もしてくれないのに、身近でない大人が何かしてくれるとは思えない。大人への不信感の問題。苦情解決のしくみが機能しない最大の要因。」といった答えを返した。弁護士さん達も仲間に引き入れて、施設での養育について考える機会ができるといい。

21日、宇大で「スティーヴィー」という映画の上映会があった。施設養護に携わる人は一度は見ておいた方がいい。要は「子どもを少しでもよくしようと関わったが子どもは変わらなかった。できることはそばにいてやることだけ。」というもの。若い人には難しい映画だが、施設養護に長く携わった人なら共感できるだろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

森を見て木を見ず

2月13日

ある人から高知県の白蓮寮に関する新聞記事が送られてきた。何があったかはネットを検索すればわかるだろうからここでは書かないが、未だにこんな施設があるのかというのが率直な感想だ。被措置児童等への虐待防止を盛り込んだ改正児童福祉法の施行を目前にしてのことで、例外中の例外であってほしいと願うばかりだ。

施設の私物化は論外であるが、体罰を容認するような施設文化とは分けて考えるべきだと思う。たとえ民主的な手法で合意形成された援助方針であっても、それが管理支配的なものであれば、権利侵害の温床となってしまうのだ。だからこそ職員一人ひとりが人権感覚を磨く必要があるのだ。

「木を見て森を見ず」という言葉がある。これは、小さいことにこだわって全体が見えなくなることのたとえだが、施設ではこの反対の「森を見て木を見ず」になりがちだ。私もその傾向が強いので反省することが多いが。つまり、施設の秩序の維持にこだわりすぎて、子どもが表出する問題の本質を見ようとしないということだ。秩序の維持は重要だが、それが過ぎると、逸脱行動を起こさないように起こさないようにという力が働く。”逸脱行動を罰で封じ込める” 結局、問題は先送りされるだけで、いずれ手遅れの状態で花開くのだ。

ケアワーカーは、逸脱行動への効果的な対応方法を求めている。これは当然のことであるが、効果的=即効性と思い違いをしている人も多い。こうした人は「私は指導者で子どもは指導に従うべき」と考えていて、逸脱行動そのものよりも指導に従わないことのほうが重大なことなのだ。つまり子どもが操作の対象となってしまっているのだ。だから逸脱行動への対応が対症療法的なものになってしまい、問題の本質へのアプローチがなされないまま時間だけが過ぎていくのだ。

逸脱行動への効果的な対応方法とは即効性とはまったく逆の気の長い取り組みになる。時には子どもに振り回され、時には子どもと対決し、寄り沿いながら一緒に問題に向き合っていく。気が付いてみると「少しは自分を大切にするようになったか」ぐらいの変化しか見えない、そんなものだ。

子どもの逸脱行動は年齢が高くなればなるほど周囲を巻き込むのでやっかいだから、できるだけ小さなうちに問題の本質へのアプローチがなされなければならない。しかし、集団養護の現場では「集団から逸脱しないよい子」を求めてしまいがちだ。すると子どもが示す小さなサインに気づかない。

例えば、夜寝つきの悪い幼児がいるとしよう。親の不規則な生活につきあわされて宵っ張りなったと思うか、それとも夜にいろいろ怖い体験をしたために寝るのが怖くなったと思うかでは、対応に大きな差が出る。子どもが示すサインをどのように受けとめるかはまさにケアワーカーの専門性でもあるのだ。

施設養護で大切なことは、一本一本の木をしっかり見ることだ。子どもを集団(森)として見ていると、一人一人の子(木)の育ちが見えなくなってしまいがちだ。森が大きければ大きいほど木が見えなくなってしまう。だからこそケア単位は小さいに越したことはないのだ。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

人権感覚を磨く

2月7日

「児童養護施設における人権擁護と人権侵害の禁止・防止・対応のための要項およびチェックリスト」というものがあり、すべて児童養護施設に課せられている。

このチェックリストは細部にわたるもので、すべての項目を満たせば確かに権利侵害はなくなるだろう。でもそれが真の権利擁護になるのかといえば時間がかかるだろう。

児童養護施設における権利侵害の根源的な問題は職員の人権感覚の麻痺であろう。収容保護パラダイムのなかで麻痺した人権感覚が、今日に至っても払拭できないでいる人たちが少なからずいることを感じるのだ。

私は養徳園の職員になって16年になるが、その前の7年間、教師をしながら養徳園に関わっていた。つまり23年前に養徳園に隣接した住居に住むようになるのだが、当初、職員の罵声がよく聞こえてきたし、子どもに発するぞんざいな言葉が気になった。体罰や人格を辱めるような言動が横行しているわけでないのだが。教師として同和教育の名の下、人権教育に携わり、生徒に発する言葉ひとつひとつに気を遣うようになっていた私には「施設は別世界」と感じたものだ。

そして23年。恐ろしいのは、私にとって施設は別世界ではなくなってしまったことだ。だからこそ自らの人権感覚を磨く努力が必要となる。

最近私は、子どもを呼び捨てにしないように心がけるようになった。こんなこと教員時代ころは当たり前だったのに。年長児に対しては、「いまさら」という思いもあって難しいと感じるが、数年もすれば当たり前になるであろう。些細なことではなるが、こんな積み重ねが我々の人権感覚を磨き、ひいては真の権利擁護につながるのだろう。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

被措置児童等への虐待防止

2月1日

昨日、とちぎ子ども学会の研究会に参加した。「児童養護における子どもの権利」をテーマにしたもので話題提供者を任せられた。

児童養護施設関係者にとって最近の話題はもっぱら被措置児童等への虐待防止に関することだ。やっかいな条文が法律に盛り込まれたというのが、関係者の正直な気持ちだろう。でも、これまで再三問題にされながら自浄作用が働かなかったのだから仕方のないこととして対応していくしかない。

いわゆる収容保護パラダイムの中、少人数の職員が大人数の子どもを管理指導する養護が行われてきた。子どもの逸脱行動に丁寧な指導するだけの余裕がないので、即効性のある方法として体罰やことばによる脅かしなどが用いられてきたことは否定できない。また、子ども集団を効率よく管理するために、子ども間にできる上下の関係を利用してきた。多かれ少なかれ施設の中に「暴力」や「強要」といったものが文化として根付いてしまったと考えられる。

そんな施設に虐待的人間関係をもった被虐待児が多数入所するようになる。「暴力」や「強要」は強まるだろう。一方、平成6年の子どもの権利に関する条約の批准され、子どもの権利が認識されるようになる。こうした中で施設内虐待が顕在化してきた。

国は対策として最低基準を改正する。それが「懲戒にかかる権限の濫用禁止」だ。さらに「虐待等の禁止」、「苦情への対応」が盛り込まれた。しかし、施設内虐待の事案が次々に報告される。

「苦情への対応」を厳格に運用すればという意見もあるが十分ではない。施設で一番虐げられる可能性が高いのは年少児だ。年少児は苦情を申し出ることはできないばかりか、自分がされていることが虐待かどうかも判断できない。施設内虐待の核は年少児に対するものだということに気づかなければならない。その意味では職員に通告の義務を課したことは重い。

4月1日の施行に向けて準備を始めなければならない。まずは就業規則の改正か。懲戒の範囲を広くしなければならないだろう。それに、職員個々の子どもへのかかわりについて先輩後輩関係なく議論し合える職場の雰囲気が不可欠になるであろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2009年1月 | トップページ | 2009年3月 »