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森を見て木を見ず

2月13日

ある人から高知県の白蓮寮に関する新聞記事が送られてきた。何があったかはネットを検索すればわかるだろうからここでは書かないが、未だにこんな施設があるのかというのが率直な感想だ。被措置児童等への虐待防止を盛り込んだ改正児童福祉法の施行を目前にしてのことで、例外中の例外であってほしいと願うばかりだ。

施設の私物化は論外であるが、体罰を容認するような施設文化とは分けて考えるべきだと思う。たとえ民主的な手法で合意形成された援助方針であっても、それが管理支配的なものであれば、権利侵害の温床となってしまうのだ。だからこそ職員一人ひとりが人権感覚を磨く必要があるのだ。

「木を見て森を見ず」という言葉がある。これは、小さいことにこだわって全体が見えなくなることのたとえだが、施設ではこの反対の「森を見て木を見ず」になりがちだ。私もその傾向が強いので反省することが多いが。つまり、施設の秩序の維持にこだわりすぎて、子どもが表出する問題の本質を見ようとしないということだ。秩序の維持は重要だが、それが過ぎると、逸脱行動を起こさないように起こさないようにという力が働く。”逸脱行動を罰で封じ込める” 結局、問題は先送りされるだけで、いずれ手遅れの状態で花開くのだ。

ケアワーカーは、逸脱行動への効果的な対応方法を求めている。これは当然のことであるが、効果的=即効性と思い違いをしている人も多い。こうした人は「私は指導者で子どもは指導に従うべき」と考えていて、逸脱行動そのものよりも指導に従わないことのほうが重大なことなのだ。つまり子どもが操作の対象となってしまっているのだ。だから逸脱行動への対応が対症療法的なものになってしまい、問題の本質へのアプローチがなされないまま時間だけが過ぎていくのだ。

逸脱行動への効果的な対応方法とは即効性とはまったく逆の気の長い取り組みになる。時には子どもに振り回され、時には子どもと対決し、寄り沿いながら一緒に問題に向き合っていく。気が付いてみると「少しは自分を大切にするようになったか」ぐらいの変化しか見えない、そんなものだ。

子どもの逸脱行動は年齢が高くなればなるほど周囲を巻き込むのでやっかいだから、できるだけ小さなうちに問題の本質へのアプローチがなされなければならない。しかし、集団養護の現場では「集団から逸脱しないよい子」を求めてしまいがちだ。すると子どもが示す小さなサインに気づかない。

例えば、夜寝つきの悪い幼児がいるとしよう。親の不規則な生活につきあわされて宵っ張りなったと思うか、それとも夜にいろいろ怖い体験をしたために寝るのが怖くなったと思うかでは、対応に大きな差が出る。子どもが示すサインをどのように受けとめるかはまさにケアワーカーの専門性でもあるのだ。

施設養護で大切なことは、一本一本の木をしっかり見ることだ。子どもを集団(森)として見ていると、一人一人の子(木)の育ちが見えなくなってしまいがちだ。森が大きければ大きいほど木が見えなくなってしまう。だからこそケア単位は小さいに越したことはないのだ。

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コメント

いきなりの失礼お許し下さい 職員を募集中の旨をブログで拝見しました 何の資格も無いとむりでしょうか?

投稿: 岡本 | 2009年2月27日 (金) 23時10分

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