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2009年4月

学習塾

4月24日

新学期もスタートして2週間が経ち、随分落ち着きを取り戻してきた。

今年度から中学生だけが対象だが学習塾の費用が支弁されることになった。さっそく新中学生5人に希望を聞いたところ4人が塾へ行くことになり、すでに通い始めている。これで中学生10人のうち7人が塾に通っている。

児童養護施設の子どもが塾に? 不況の嵐が吹く中、子どもを塾に通わすことが出来ない家庭が増えているのが現実だ。劣等処遇の原則からすれば明らかに逆差別といえるかもしれない。しかし、子ども一人ひとりの自己実現を目指していくという今日的な福祉観に立てば、学力の保障は重大な課題である。これまで十分な学習環境のもとで生活してこなかった要保護児童だからこそ少しでも多くの学習の機会を与えられなければならないのだ。

さらにいえば「児童虐待の防止等に関する法律」にはこう記されている。第十三条の二の第二項「国及び地方公共団体は、児童虐待を受けた児童がその年齢及び能力に応じ充分な教育が受けられるようにするため、教育の内容及び方法の改善及び充実を図る等必要な施策を講じなければならない。」と。

現実的な話をすると、施設では学力を伸ばすことをあきらめてしまっている子が多いが、中卒で就職するわけにもいかずとりあえず高校に進学している。こうした子は将来への見通しが立てられず、高校生活に意義が見いだせないまま、ちょっとしたつまずきが中退へと結びついていく。ひいては自立できない状態で社会に放り出されてしまうのだ。

勉強してちょっとでも学力の高い高校に進学しようという意欲は向上心に結びつく。通塾の費用が支弁される意義は大きい。

蛇足であるが、私の養徳園児だったときの記録には「施設の子どもにしては珍しく優秀な子である」と記されている。小学校2年のときであるが、担任の先生が「福田君は施設の子なのにどうして勉強ができるの?」と聞いてきたことを覚えている。施設の子は勉強ができなくて当たり前と思っていたのだ。もう40年も前の話であるが、今日でも変わっていない。

施設の子は学力が低い。相対的には事実かもしれない。だからといって「施設の子だから学力が低くても仕方がない」ということがあってはならない。こうした周囲の施設の子どもへのイメージが、子ども自身の自己イメージに少なからず影響してきたとも考えられる。

通塾は帰りが遅くなるので送り迎えが必要になる。職員の勤務の問題も生じるだろうが、積極的に活用したい。

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報道被害

4月18日

昨朝、施設にやってきたら職員から「児童施設で傷害、少女3人逮捕」という見出しの小さな記事を見せられ、「これって氏家養護園ですか」と聞かれた。

「えっ、まさか」と、よく読むとこう書いてある。「さくら署は十六日、傷害の疑いでさくら市内の児童福祉施設に住む中学三年女子生徒(14)、無職少女(15)、無職少女(16)の三人を逮捕した。十二日早朝、同施設内で共同生活する少女(15)に殴る、けるの暴行を加え、顔などに約一週間のけがをさせた疑い。」

これだけの記事だと誰もが、養徳園か氏家養護園と思ってしまう。さくら市内の児童福祉施設で、入所の施設、しかも中学生やそれ以上もいるとなると、そう思ってもしかたがないところだ。でも、これらに該当する施設はまだ二つある。児童自立支援施設と知的障害児施設だ。この二つが児童福祉施設に含まれることを実は多くの人はわかっていない。

養徳園には14~16歳で学校等への適応状況がよくない少女がいるものだから、「○○ちゃん、逮捕されたの?」と名前を挙げて問い合わせてくる人もいた。疑われた当人から見れば失礼極まりない話だ。

新聞報道では匿名性は重要だが、中途半端な匿名性は報道被害を生むことになるのだと実感した。

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施設の財産

4月9日

喜連川の桜は今が満開。今日は中学校、明日は小学校の入学式。

今年の養徳園は入学生でいっぱいだ。幼稚園に6名、小学校に4名、中学校に5名、高校に5名と、20名にもなる。

ところで4月4日は氏家養護園の竣工式だった。春休み中という忙しい中での催しであったが、子どもと職員による手作り感でよくでていてよかった。

養徳園のように、バックアップ組織(例えば教会など)をもたない個人が創設した法人では、もう一つの施設を運営することは重荷でもあるが、貴重な財産が増大したという側面もある。ただそれは固定資産が増えたということではなく、職員そして子どもという財産が増えたということだ。

4月5日、職員のOB会があった。突然思い立ったように開かれた会合ではあったが、20名ほどが集まった。懐かしい顔に出会うことができてよかった。OB会は毎年やったほうがいい。恒例にすれば予定を立てやすくなるのでもっと参加できるようになるはずだ。

ついでに子どものほうのOB会も一緒にやったほうがいい。卒園後の数年は頻繁に施設に顔を出すOBも次第に足が遠のく。いろいろな要因があるが、その一つが知っているいなくなってしまうことだ。

職員と子どもの合同のOB会になれば、かなりの数が参加するのではないか。こうして集まってくる人たちが養徳園のまさしくバックアップ組織となっていくのだ。

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ケアワーカーの質の根源

4月2日

新しい年度がスタートした。

改正児童福祉法が施行される。里親の拡充、ファミリーホームの制度化、被措置児童等への虐待防止など、児童養護施設のあり方が問われる時代がやってきた。

昨日は辞令交付式。氏家養護園と養徳園の双方で行った。私からは、「施設にはそれぞれの養育観をもった人が集まって職員集団を形成している。親からどんな育てられ方をしてきたか、また自身の子育て体験などによってみんな違う養育観をもっている。自身が正しいと信じている養育観が施設で通用するとは限らない。一度自身の養育観を捨て、この施設ではどんな養育を行っていったらよいのか議論してほしい。」という旨の訓示をした。

今年度から職員研修制度を設けた。どの職員も児童養護施設の職員になるための専門教育を受けてきているわけではない。保育士などの資格をとるために児童養護についても少しかじったに過ぎない。であるから、就職後1,2年は体系的な研修が必要になる。前々からそうした研修が必要だと思っていたが、やっと今年度から取り組むことになった。

研修をやれば、どのケアワーカーも「いい関わり」ができるようになるわけではない。永年子どもの世界で生きていると、ワーカー自身が元々もっているものが大きく影響していると思わされる。

よくいわれる「気づきのセンス」というものだ。子どもが気づいてほしいことを察し好意的な表情で応答できることが大切だ。子だもから見れば、この人は気づいてくれるからとその関わりに期待をする。つまり、ワーカーが養育の主導権を握ることができるのだ。逆に「気づきのセンス」に欠けると、子どもはワーカーに期待しないわけだから、子どもに振り回されることになる。

では、「気づきのセンス」を磨くためにはどうしたらよいか。とにかく子どもを好きになることだ。憎たらしい子であっても、悪さをする子であっても、自分(ワーカー)を嫌う子であっても、子どもであること自体が好きになることだ。それができて、気づかなかったその子の良さや苦しみ、悲しみに気づくことができるのだ。

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