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2009年5月

しんどい思い出

5月24日

ずいぶん日が空いてしまった。支える会の総会・研修会、養徳園の理事会と、慌ただしかったことに加えて持病の痛風が再発。忙しさと苦痛に耐えていた。ついでに締め切りを過ぎた原稿を抱えていて、それが書きあがらないのにブログなどを書いていては依頼者に失礼なので。

支える会の研修会は、日向ぼっこ代表の渡井さゆりさんを招いて行われた。施設で育った人は、何か思い通りにならないことがあると、変えることができない過去のせいにしてしまうなど物事をネガティブに考える傾向があるという。

私は、小3まで施設で生活して、その後は家庭で普通の生活していたので、そうした傾向はないと思っているが、大学時代だけはそうでなかった。

高3の時、家計が破たんし、私は独力で大学進学をしなければならなかった。新聞奨学生となり新聞専売店に住み込み、働きながら大学に通った。毎朝2時に起き朝刊を配達した。その距離60キロ。大学から戻れば夕刊が待っていた。土日は集金と勧誘。当時、今では毎月ある新聞休刊日は年に6日しかなかった。大学の授業はほとんど寝ていた。たぶん私の人生の中で最もしんどい期間だった。

しんどさの正体は何かというと、疲労でも忙しさでもなく孤独感だった。周りの学生が大学生活を謳歌しているのを尻目に、「自分だけが・・・」という思い。

付き合う相手といえば新聞屋の従業員。新聞屋というのは流れ者が多い。「なんでこんな連中と付き合わなくちゃなんないんだ。」と何度思ったことか。

ほしかったのは自分と同じような苦学生の仲間。苦労の共有できる仲間がほしかった。でも田舎の新聞屋だったので自分しかいなかった。都会の新聞屋だったら何人かいたのにと、「なんでこんな田舎の大学に来てしまったんだ」と大学選択を悔いたこともあった。

本当にしんどいかったことは、いつになってもいい思い出には変わらない。

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子育ての公的責任

5月10日

連休中、安達祐美主演の「家なき子」を観た。不遇な子どもを扱った番組はでき得る限り観るようにしているが、この番組が放映されていた当時は、仕事をしながら大学院に通っていて、しかも実子もまだ小さく、テレビを観ている暇などなかったのだ。

「家なき子」が放映されたのは平成6年。この年は日本が「子どもの権利に関する条約」に批准するとともに、ずっと減少傾向にあった施設入所児童数が児童虐待の顕在化を背景に増加に転じた年でもある。

さて、ドラマ「家なき子」で児童養護施設がどのような形で描かれているのかというと、最初のシリーズでは「養護施設」として登場してくる。平成9年の法改正で「児童」がついたので、これは正しい。しかし次シリーズ「家なき子2」では「孤児院」として登場してくる。戦後50年も経っているのにもかかわらず。

この2つのシリーズのそれぞれに施設に多額の寄付をする人物が登場する。施設がまるで寄付で成り立っているかの印象を受ける。タイガーマスクもそうだったが、あれはもう40年前の漫画だ。もちろん寄付金は施設にとって重要な財源だが、主たる財源は国と県からの措置費だ。たぶん寄付金が措置費を上回っている児童養護施設は日本中どこを探してもないであろう。

終戦間もなくできた児童福祉法で、子育ての公的責任が謳われた。措置費はそれを担保するものである。公的責任は要保護児童に限ったことではなく、すべての児童に対してのものだ。

昨日日テレで放映された「ザ・クイズショー」をたまたま観た。浅野ゆう子扮するイカサマ占い師の過去が暴かれるのだが、母親の虐待で施設に入所しそこでずっと育ったという設定だ。その母親は子育てを放棄し娘を施設に入れたひどい親として描かれていた。

わが国では子育ての公的責任があいまいで、親の責任が強く問われる(第一義的にはそうであるが)。だから、「子どもが施設に入所する」=「ひどい親そしてかわいそうな子ども」という社会通念が根強く残ってしまっている。このことが、子どもを育てたくないのに虐待しながらでも養育を続けようとする親を温存しているのだ。

児童虐待、児童養護施設、そして子育ての公的責任について正しく理解してもらいたいものだ。

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入所のときの思い出

5月6日

ゴールデンウィーク最終日。中3は今日から修学旅行、中2は宿泊学習に出かけた。

43年前の5月6日、私は弟と一緒に養徳園に入所した。当時5歳。入所のときのことは覚えているとよくいわれるのだが、覚えていることといったら、父親と別れる際に泣かなかったということぐらい。

他の子が入所するとき、親や相談所の人と別れ際に泣いているのを見て、「ボクは泣かなかった」と自慢していたのを覚えている。

どうして泣かなかったのかはわからない。冷めた子どもだったのか、それとも強がっていたのか。ただ施設の中ではよく泣いていた。いじめられて泣くこともあったし、わけもなく泣くこともあった。

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