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しんどい思い出

5月24日

ずいぶん日が空いてしまった。支える会の総会・研修会、養徳園の理事会と、慌ただしかったことに加えて持病の痛風が再発。忙しさと苦痛に耐えていた。ついでに締め切りを過ぎた原稿を抱えていて、それが書きあがらないのにブログなどを書いていては依頼者に失礼なので。

支える会の研修会は、日向ぼっこ代表の渡井さゆりさんを招いて行われた。施設で育った人は、何か思い通りにならないことがあると、変えることができない過去のせいにしてしまうなど物事をネガティブに考える傾向があるという。

私は、小3まで施設で生活して、その後は家庭で普通の生活していたので、そうした傾向はないと思っているが、大学時代だけはそうでなかった。

高3の時、家計が破たんし、私は独力で大学進学をしなければならなかった。新聞奨学生となり新聞専売店に住み込み、働きながら大学に通った。毎朝2時に起き朝刊を配達した。その距離60キロ。大学から戻れば夕刊が待っていた。土日は集金と勧誘。当時、今では毎月ある新聞休刊日は年に6日しかなかった。大学の授業はほとんど寝ていた。たぶん私の人生の中で最もしんどい期間だった。

しんどさの正体は何かというと、疲労でも忙しさでもなく孤独感だった。周りの学生が大学生活を謳歌しているのを尻目に、「自分だけが・・・」という思い。

付き合う相手といえば新聞屋の従業員。新聞屋というのは流れ者が多い。「なんでこんな連中と付き合わなくちゃなんないんだ。」と何度思ったことか。

ほしかったのは自分と同じような苦学生の仲間。苦労の共有できる仲間がほしかった。でも田舎の新聞屋だったので自分しかいなかった。都会の新聞屋だったら何人かいたのにと、「なんでこんな田舎の大学に来てしまったんだ」と大学選択を悔いたこともあった。

本当にしんどいかったことは、いつになってもいい思い出には変わらない。

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