« 明日、ママがいない 追伸 | トップページ | 明日、ママがいない 4 »

明日、ママがいない 3

1月23日

この番組の子どもへの影響が懸念されている。否定できない事実だろう。番組が水曜日の10時から放映されているのはそれなりの配慮かもしれない。普通なら小学生は見ない時間帯だ。子どもがたくさん出てくるけれど、やはり子どもには見せたくない番組だ。

それはさておき、第2話

これを観て、数年前、施設から里親に送り出した男児を思い出した。里親に行く際、里親から「養徳園のことは早く忘れさせたいから、アルバムはいらないし、施設の職員とも会わせたくない」と言われた。結局その子は1年後に施設に戻ってきた。里親がギブアップしたのだ。里親に委託する際にしっかり対決しなかったことを今でも後悔している。

かつて、児童養護施設の中には乳児院との交流をしないというところがあった。新しい養育者との関係を構築する上で過去の養育者の存在はじゃまだという理屈だ。または、過去を度外視して新しい人生をスタートさせるという意味があるのかもしれない。でもそれらは、養育する側の論理に過ぎない。養育する側にとっては、出会ったときからのスタートかもしれないが、子ども自身の人生は過去からずっと繋がっているのである。過去を切り離して今はないのだ。それがどんなにつらい過去であってもだ。

新しい養育者が子どもを受容するということは、子どもの過去も含めて受容するということだ。なぜならそうでないと子どもを理解できないからだ。子どもが背負ってしまった過去に、子どもと一緒に向き合うことが求められる。そのような養育者に出会って、子どもは過去を乗り越えることができるし、親を捨てる(見切る)ことができるのだ。

施設長になったばかりのころに発した「親を捨てなさい。そして養徳園でやり直そう」は間違っていた。そういうスタンスだったから彼は家に戻ってしまったのだろう。

子どもに関わるということでは、保育所保育士や学校教員も同じだ。根本的な違いは何か。社会的養護に携わる者は、子どもの過去も含めて受容し一緒に人生に向き合わなければならないということである。とても重い仕事だ。その意味ではもっともっと優遇されてもいいはずだ。

この番組、子どもに寄り添う大人が見えてこない。このまま終わってしまうの?・・・

|

« 明日、ママがいない 追伸 | トップページ | 明日、ママがいない 4 »

コメント

慈恵病院の蓮田健と申します。

私は明日ママの事で日本テレビやマスコミの方とやり取りを行っています。しかし、私たちは児童養護施設に対して部外者です。施設のお子さんや職員の方の葛藤や喜びをほとんど知りません。「園長のひとりごと」を拝読し、そう思いました。

これだけ色々な出来事と思いがある舞台なら、テレビ局や脚本家には、もっと取材してもっと社会に情報発信していただきたかったと思います。

施設のお子さんの事、職員さんの事、親御さんの事、これからもぜひご教示いただければと思います。

投稿: 蓮田健 | 2014年3月 2日 (日) 22時40分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 明日、ママがいない 3:

« 明日、ママがいない 追伸 | トップページ | 明日、ママがいない 4 »